わたしが担当を好きになった日

 

___気づいたら、頭の中は中間淳太でいっぱいだった。

 

良く、本気愛とかリア恋*1とか言ってるジャニヲタがtwitterで「○○くんに恋して○○日」記念日をお祝いしているが、わたしの中には中間淳太を好きになった日」は存在しない。

 

というのも、好きになった日なんて実際わかんない。好きになった”きっかけ”すら自分で把握できてない。そんな私が、なんで淳太くんにこんなに惹かれるようになったのか、自分の中で整理したいと思ったのではてなブログを開設し、記事を書いてる今に至る。

 

今まで、櫻井翔くん以外には全く興味が湧かなかった。本当に。

嵐ファンの人たちはゴコイチ信者*2が多い気がする。ジャニスト*3で言う虹色ジャスミン。仲のいいメンバーたちをみてれば自然にそうなるのかもしれない。でもわたしは櫻井翔くんだけだった。

 

いつのまにか頭の中が翔くんでいっぱいになって、いつの間にか身の回りのものが赤色に染まっていって。*4彼の容姿はもちろん、上品な仕草とかクレバーな発言とか、たまに全力でバカやるとことか、甘い歌声も力強いRAPも全部。勉強と仕事を両立したストイックな姿勢も、心から尊敬して”敬愛”していた。

 

上記にある通り、「わたしが櫻井翔を好きになった日」も不明だが、私の中の一番古い翔くんの記憶は山田太郎ものがたり*5

を観た感想を学校で友達と話したことだったと思う。

やまたろ*6の頃なんてわたしクソガキで*7(今もクソガキですが)お金もなかったしCDとかDVDなんてもってのほかで。でもただ櫻井翔が好きで茶の間ですが必死に応援してました。ZEROとか夜遅い放送時間で、レコーダーも家に無かったので見れてなかったけど、北京五輪*8で中継してる翔くんとか見れて超嬉しかったのはいい思い出。

10周年以降、だんだんTVだけじゃ満足できなくなってきて、CDDVD、コンサートグッズにも手を出した。ファンクラブにも入った。CDは初回と通常で毎回2枚。DVDも必ず初回ブルーレイを必死で予約した。嵐の人気も爆発的に出てて、グッズ買うだけでも1日がかりでドームに並んで。でも翔くんのうちわのためならいくらでも待てた。

 

そんなわたしに転機が訪れた2010年。

母親が、流れ星*9に出てた男の子に堕ちた。一目惚れだった。この子誰だろう、はじめてみた俳優さんだね、と母親と二人でエンドロールを観ると

関西ジャニーズジュニア 桐山照史

の文字が。ああ、ジャニーズジュニアに関西の子なんているんだ。初めて以外のジャニーズに目を向けた。

 

それでも翔くん一筋のわたしは、桐山の”き”の字も興味すら湧かなかった。(ごめん照史)

 

そんなわたしだが、もう一度転機が訪れる。

2013.12.31 ジャニーズカウントダウン

「僕たち、デビューします」

ジャニーズwest4*10のデビュー発表だった。翔くん以外興味なかったわたしだが、周囲のヲタの影響もありそこそこ知識はつけていたが、関西ジュニアのことは桐山以外全く知らず、素直に母親と桐山のデビューを大喜びした。

 

が、あれ?なんか違うぞ

4人の様子がおかしい。始めたばっかりのツイッターで調べた。そうか、足りないのか。人数が。

いろいろあって、でもめでたく7人でのデビューが決まった(この記事はわたしの担当遍歴まとめみたいなものなので、ジャニストのこの辺の経緯にあまり触れないこととします。雑で申し訳ない)

初めてジャニーズの舞台*11を観に行った。桐山担の母親の同行だったため、気になる人も担当もいなかったけど、気付いたら泣けていた。

 

それからというもの、母親と一緒にイベントに参加するようになった。初めて行ったコンサートはリリイベ。距離がとっても近くて、小瀧くんとハイタッチ出来たいい思い出。嵐のコンサート当たったこと無いのに、ちょっと複雑だったが、やっとデビューして、てっぺんとったる!!って踏ん張る7人は本当にキラキラしていて、フレッシュで、パワーがあって全力で、「この人たちを応援したい」「この7人がてっぺんに居る姿を観たい」と思わせられた。

 

台風nDreamer*12で、初めて担当を作ろうと思った。わたしもうちわを持ちたい、という単純な理由だ。容姿は小瀧望くんが抜群で圧倒的タイプだった。しかもリリイベのハイタッチでやられた。でも、なぜか淳太くんに目が行った。ジパング/夢抱き*13の頃あたりからか、自分の気持ちがわからなくなった。

あんなに大好きだった翔くんが、頭の中から消えつつある。のんちゃん*14もかわいいし淳太くんもかわいいし、わたしは一体誰担なんだろう。クソDDになりつつあるんではないか。

 

今まで頑なに櫻井翔くんだけだったのに

いつのまにか、ジャニストに夢中だった。

 

その次の現場*15で持ったうちわは、中間淳太のうちわだった。

インテリで、お育ちが良くて、運動音痴で。そんな彼に親近感を覚えていたのだ。どことなく丁寧な仕草、みんなを引っ張るしっかりした言動とか、時にはバカやってふざけたりとか。ファンにもしっかり注意してくれたり、ちょっと冷たい事言ったり。

淳太くんから櫻井翔を感じた。はい。

 

この現場は運よく2公演入らせていただき、しかもセンステ最前っていうクソ神席。アリーナ構成「田」型だったのだが、真ん中でクロスしてる「十」のカドあたりの最前で。死んだ。メンバーのスネ毛が見えました(ここでキモヲタ発揮)

 

それからというもの、いつのまにか淳太くんしか見えなくなっていた。

嵐のCDやDVDを買ったり、番組を観たりするのが

「したい」から「しなければいけない」になっていた。義務みたいに。

 

「担降り」この言葉が頭をよぎったのは初めてだった。

まさか、このわたしが櫻井翔くん以外の人間に堕ちるなんて思ってなかった。

キッパリ担降り出来れば楽なのだが、そんなことできない。今まで自分の人生の半分以上をささげてきた櫻井くんに、簡単にさようならなんて言えない。でも、自分の中の気持ちが冷めてきてるのは事実で。

 

 本当に心から大切で、わたしにとって様々な場面にいつも寄り添ってくれた櫻井くんだから、だからこそこんなに悩むんだと思う。

 

「担当」っていったい何なんだろうか。

わたしのなかでは「担当」って、その人の画像でスマホのカメラロールが埋まったり、身の周りがその人のメンバーカラーのものばかりになる事だと思う。

その人のことで頭がいっぱいでどうしようもない、って事。

 

だからわたしは、櫻井翔中間淳太の「掛け持ち」ではないと認識している。

このブログのタイトルの下を見ていただければ分かると思いますが、

わたしは「中間淳太担当、元櫻井翔担当」。頭の中のほとんどは淳太くんだし、頭の中にほとんど櫻井くんは居ない。

 

ただ、自分の中で櫻井翔という人間は不滅だし、わたしにとって何にも代えられない一生大切な存在。これからはなんとなくCD買ったりTVみたり、義務化することなくゆるく応援出来ればいいなと思っている。

 

これが多分運命だったんじゃないかな。

 

 

 

 

*1:タレントの事を本当の恋愛対象としてみたりリアルに恋しちゃってる系盲目ヲタ

*2:嵐は5人で1つ!1人欠けたら嵐じゃない!って言う精神と共に5人を愛でる。

*3:ジャニーズwest

*4:櫻井翔くんのメンバーカラー赤色の小物や洋服が自然と増えていった

*5:2007年の櫻井翔二宮和也W主演ドラマ。大好きな多部未華子ちゃんもヒロインで出演し、私にとってクソ神ドラマバンザイ。

*6:山田太郎ものがたり

*7:9年前。当時小2

*8:翔くん初五輪で取材いっぱいしてて特番もいっぱいだった

*9:上戸彩竹野内豊主演の月9

*10:最初はジャニストがジャニストじゃなかった。桐山中間重岡小瀧の4人。

*11:なにわ侍 ハローTOKYO!! ジャニストのデビューまでのいばら道に脚本を加えて舞台化

*12:秋ごろにやった舞台

*13:2作目シングル両A面

*14:小瀧望

*15:2015年ジャニスト1stコンサート一発めぇぇぇぇぇぇぇ